1948年 |
2月4日にイギリス連邦内の自治領(英連邦王国)セイロンとして独立した。 |
1951年 |
サンフランシスコ講和会議において、セイロン代表として出席していたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相(後、スリランカ第2代大統領)は「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい。憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して、対日賠償請求を放棄する演説を行った。 |
1956年 |
総選挙でS.W.R.D.バンダラナイケが首相に就任し、シンハラ語公用語法案を制定した。タミル人は公務員から排除された。このシンハラ・オンリーの政策によってタミル人との対立が高まり、後の大規模な民族対立の原因となる。 |
1959年 |
S.W.R.D.バンダラナイケが仏教僧によって暗殺される。 |
1972年 |
S.バンダラナイケが首相に就任し、仏教を準国教扱いにする新憲法を発布した。国名をスリランカ共和国に改称。「タミルの新しい虎」(LTTEの前身)が成立し、「タミルの国」、イーラム
(Eelam) 樹立の要求を掲げて、分離独立運動を開始した。 |
1978年 |
議院内閣制から大統領が執行権を行使する大統領制に移行し、現国名に改称。 |
1983年 |
シンハラ人とタミル人との大規模な民族対立が起こり全土にわたって暴動が繰り返され、2009年にまで内戦状態が継続した。 |
1984年 |
首都をコロンボからスリジャヤワルダナプラコッテへ遷都。 |
1987年 |
反政府組織LTTE(タミル・イーラム解放のトラ)が独立を宣言し内戦が続いた。 |
2004年12月 |
スマトラ島沖地震の津波により沿岸部に死者3万人以上という大きな被害を受ける。 |
2005年11月 |
マヒンダ・ラジャパクサが大統領に就任。 |
2009年5月18日 |
LTTEの最高指導者ヴェルピライ・プラブハカラン議長の遺体が発見され、政府はLTTEの完全制圧と内戦終結を宣言。 |